「恵まれたあなた」  08.12.14
             ルカ 1:26〜38

 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と
天使はマリアに告げました。そして、今日この言葉が、
私たちにも向けられています。
 天使は、マリアが聖霊によって男の子を身ごもったことも
告げました(30-31節)。これは、マリアにとっておめでたい
ことではなく、困ったことでした。婚約者ヨセフとの結婚が、
破壊されかねないことでした。神さまのご用のためとはいえ、
マリアの人生に、予想していなかった出来事、しかも泣きたく
なるような辛い出来事が置かれたのです。
 けれども、天使は「おめでとう。主があなたと共におられます」と
告げます。クリスチャンは、神さまが共におられることを知って
いるゆえに、慰めを得ます。共にいてくださる神さまが、悲しみの
時に慰め、苦しみの時に守り支えてくださる幸いを、しばしば
体験します。ただし、この時天使が告げたのは、「神さまの
ご用をするあなたと、神さまは共にいてくださる。だからおめでとう」
ということです。
 聖書で「神さまが共にいてくださる」と語りかけられるのは、
多くの場合、神さまのご用をする人に対してです。そして、
神さまのご用をする人生こそが、神さまと共にいることを実感する
恵まれた人生だと見なされています。旧約に登場するモーセも
そうです。ある時神さまは、モーセに「エジプトに行ってイスラエルの
民を連れ出すように」と言います。モーセはそんなことをしたく
ありませんでしたから、何度も拒みました。そんなモーセに神さまは
「わたしは必ずあなたと共にいる」とおっしゃって、モーセの人生に
伴ってくださいました。モーセは、約束の地に入れませんでしたが、
神さまが共にいて、神さまに用いていただいた、真に意味のある
人生を送ったのです。
 マリアやモーセだけではありません。
 教会に招きいれられている私たちひとりひとりには、神さまが
共にいてくださり、神さまに用いられる、真に意味のある人生が
用意されています。